Yoko Maeno / 前野曜子

Yoko Maeno / 前野曜子
Biography

前野 曜子(まえの ようこ、1948年1月25日 – 1988年7月31日)は、日本の歌手である。本名は前野 耀子。ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルである。宝塚歌劇団在籍中の芸名は弓 千晶(ゆみ ちあき)、その後の初期芸名は西丘 有理(にしおか ゆり)。1980年前後の時期、俳優として劇場用映画・テレビ映画に出演した。

Yoko Maeno : 前野曜子の経歴

1948年(昭和23年)1月25日、東京都中央区銀座に生まれる。

1963年(昭和38年)4月、川村高等学校に進学するも、満17歳になった1965年(昭和40年)、同校を中途退学し、宝塚音楽学校に進む。1967年(昭和42年)、第53期生として宝塚歌劇団へ入団、同年の星組公演『世界はひとつ』が初舞台公演の演目であった。同期は54名、室町あかねや小松美保がおり、前野の当時の芸名は弓 千晶。1968年(昭和43年)10月30日付で同劇団を退団した。

宝塚時代に知り合った亀渕友香とディスコ「赤坂ムゲン」で再会してリッキー&960ポンドに参加、翌1969年(昭和44年)、「ワッハッハ」(CBSソニー)がヒットを記録する。この頃は西丘 有理と名乗る。

1971年(昭和46年)、同グループと同じ事務所(小学館プロダクション)に所属するペドロ&カプリシャスにヴォーカルとして参加、同年10月発売の「別れの朝」が大ヒットを記録する。同作の原曲はウド・ユルゲンスの「夕映えのふたり」(ドイツ語: Was ich dir sagen will, 1967年)である。

1972年(昭和47年)9月、「ペドロの前野曜子が倒れた」と報道される。1973年(昭和48年)、ペドロ&カプリシャスを脱退し、ソロとしてライブハウスなどで歌手活動を再開後、1976年(昭和51年)に古巣のリッキー&960ポンドに復帰する。1977年(昭和52年)9月、リッキー&960ポンドとアルバム『ABRAZAME』を録音。「別れの朝」は3ヴァージョンが存在するが、このアルバムに収録されたものが最高の出来との評価もある。同グループに3年間所属した後、再び脱退する。

1979年(昭和54年)に映画『蘇える金狼』の主題歌『蘇える金狼のテーマ』をリリース。このとき「あの前野曜子が6年ぶりにカムバック!!」と報道されたが、カプリシャス脱退以降の経歴が考慮されていない。1980年(昭和55年)、映画『野獣死すべし』に出演。1980年代初期には自己のバンドを組みリサイタルを行った。1982年(昭和57年)から始まったテレビアニメ『スペースコブラ』(フジテレビ)のテーマ曲を歌う。同時期、都内の病院に入院し闘病が開始したとされる。

アルコール依存症等が深刻化、1988年(昭和63年)7月31日、心不全で死去した。

Yoko Maeno : 前野曜子のアルバム

別れの朝』 1972年3月25日発売『別れの朝』 1972年3月25日発売  – 「ペドロ&カプリシャス」名義
さようならの紅いバラ ペドロ&カプリシャスII』 : 1972年6月25日発売(2011年CD化) – 「ペドロ&カプリシャス」名義
ABRAZAME / 抱きしめて』 : 東芝エキスプレス、1977年9月発売(2011年CD化) – 「リッキー&960ポンド」名義
蘇える金狼』 : 1979年発売(2011年CD化)
HALF TIME』 : 日本コロムビア、1980発売(2012年CD化)
一人で(アローン)』 : 日本コロムビア、1981発売(2012年CD化)
TWILIGHT』 : 日本コロムビア、1982発売(2012年CD化)